辻中俊樹のコロナインパクト雑感<1>

本日より複数回にわたり、コロナウイルスが生活に与えた影響と、コロナ禍における生活者の新たな気づきについてお届けします。
本日は第1回目のご紹介です。

<身体生理>を実感するということ—

l  「おうちごはん」をどうして手作りすることになったのか

 コロナインパクトによる行動変容の象徴的な現象の1つに「手作り」ということをあげておくことができる。

 具体的にいえば家庭での料理の「手作り」であり、手作りお菓子や手作りデザートである。「手作りマスク」などもいれておいてもいいかもしれない。

 「外出自粛」により家での喫食機会が必然的に増えた。オフィスタイムでの喫食が削減され、学校や保育園での給食がなくなり、コミュニケーションとしての外食シーンもなくなったことで、「おうちごはん」が増大したことは必然である。そしてこの「おうちごはん」が素材からの「手作り」になったことが特徴である。この期間に行われた様々な調査データをみてもそうだし、当社の実施したWeb調査でもそうなっている。また、スーパーマーケットでの商品の売り上げ動向などをみても、「おうちごはん」を手作りするための素材やそれをサポートする調味料類などの購入が好調であった。惣菜や弁当、デリカのカテゴリーはむしろマイナスに近い。「おうちごはん」機会の増大は、面倒なことの増加にもかかわらず、さらに手間と労力のかかる「手作り」をどうして選択することになったのだろうか。

 在宅時間が増え調理行動に「時間をかけることができる」ようになったからなのか。子供や家族メンバーの在宅が増えることでむしろ時間をとられることが多くなったということの方が実態に近い面もある。男性も料理家事に参加するという態度変容もおこってはいるが、その効果はしれたものである。

 手作りの方が経済的なメリットが高いという側面もあるが、時間と労力とのトレードオフだから、これが「おうちごはん」の手作りシフトの一義的な理由とはいえない。

 ましてや、パンケーキやクッキーやシフォンケーキなどを手作りするということに対しては、合理的な理由、心理的な背景の説明にはならないだろう。小麦粉が売れ、たとえばバニラなどのエッセンス類が品薄になり、バターが欠品するほどである。もちろん、子供たちと一緒になってお菓子作りをするという時間消費や気持ちの満足度は得難いものだ。

l  暮らしを断捨離して得ようとしたこと

ただ、リモートワークなども含めて、「おうち時間」は外野からみている程、自由でゆとりがある訳ではないのだ。たとえば、ワーキングママたちは、夜家族が寝静まってからようやくリモートワークをやっていたり、「一人になれる時間が欲しい」という切実な現実があるのも事実だ。

 今回、コロナインパクトを通してみた、未來価値と行動変容のインサイトを整理しながら、なかなか腑に落ちないところがそこだった。手作りおうちごはんや手作りお菓子という行動変容は、本当は何がそうさせているのだろうか。無意識も含めて、どうしてその気持ちスイッチが入いることになったのか。

 心のどこかでは一度はやってみたいと思っていた「豚の角煮」を、この際だから一から手作りしてみたりしているのだ。このこの際だからという暮らしのリズムへのインパクトこそが、コロナというものだった。いろいろなことを振りかえってみたり、行動や価値観の棚卸しをしてみたり、加えて暮らしにたまった物事を断捨離してみたりしている。こんな流れの中で、「豚の角煮」の手作りや、シフォンケーキを一から作ってみたりという行動変容がおこったのである。

 これまでの暮らしのリズムの中では、デリカとして加工完成された角煮を買って食べたり、あるいは外食というシーンで注文して楽しんだりということにつきていたのである。シフォンケーキやスノーボールクッキーも同じように、カフェメニューとして注文していたり、お気に入りの専門店やネットで買って楽しんだり、あげたりもらったりしていたものにつきていたといえる。

 いいかえれば、作ったりサービスしたりという加工を含めたすべてのプロセスを、お金と引きかえにカジュアルに手に入れるという行動が習慣化されていた。つまり、生活者自身の暮らしのリズムの大半が、最終的な消費者というポジションだけを保持しているというだけの存在であることが心地よく、それにのみ慣れ親しんできたということである。

l  高度消費社会のさらにその先へ

 このことは高度消費社会という現在から未来における当然の帰結としての姿である。だが、どうやらここに反乱がおこったのである。もう一度、消費が完結するまでの全てのプロセスに関与しようというモチベーションと新しい価値観の兆しに沿った行動変容である。これが未來価値として顕在化してきたといえる。もちろん、たとえば車という商品の加工の、全てのプロセスに関与することは無理な相談である。それに対して、喫食というプリミティブなシーンとプロセスではこれがある程度までは可能なのである。

 むしろ、このプロセスへの関与をできるだけ簡略化し、極小化することが豊かさの実現であるかのような行動と価値観が現在的であり未来的であると考えられてきたともいえる。この価値観と行動に変容がおこり、重層化することになり始めた。

 最終消費者という一局面だけであることを捨て、<身体生理>感覚をすべて動員し、作るということから消費するということまでの全プロセスに積極的に関与するという意識と行動への変容なのである。

 コロナインパクトにより、時間の使い方とゆとりが多少できたことも否めないところではあるが、時間の使い方の価値のおき方が変容したのである。喫食のシーンとプロセスは元々<身体生理>感覚がフル動員されるものであったが、細かく分業されつくしてしまわれた。そして、その一部のベネフィットだけが受容されることになったのである。

 <身体生理>感覚は、脳だけが感知するものではなく、指先や手や身体全体で感知するものである。コロナインパクトはそれを呼びおこしたのであり、まず喫食に現われた。さらにこの<身体生理>感覚の取り戻しは広がっていく。たとえば手作りマスクもそうだし、<散歩>という行動もそうなのである。

詳細レポートは近日中にアップ予定です。

辻中 俊樹
株式会社ショッパーファースト シニアフェロー
生活日記調査などエスノグラフィーアプローチによる生活者リサーチとユニークな解析を一貫して実施。
『マーケティングの嘘』(新潮新書)など編著書多数。