辻中俊樹のコロナインパクト雑感<4>

本日より複数回にわたり、コロナウイルスが生活に与えた影響と、コロナ禍における生活者の新たな気づきについてお届けします。
本日は第4回目のご紹介です。

—リアルなモノがもつメッセージパワーをみる—

 ●「おうち時間」に侵出してきた外

 外出自粛の制限はようやくゆるやかに解除され始めた。「おうち時間」の想像以上の増大という予想を超えた状況は、少しずつだが元に戻りつつある。子供たちも学校に通うようになり、日中の「おうち時間」のあり方も変化を始めた。だがコロナインパクトの前のような状態に戻るということはもうありえない。

 たとえば、リモートワークや在宅ワークという働き方はある程度定着していくことになる。あらゆる業種や職種がすべてリモートワークになるということはないし、コロナ禍でもサービス業などでは無理ではあった。ただ、建設業や運輸業などの現場でも、これを機に可能な限りのリモート化が模索され推進されていくことは間違いない。学校などもオンライン学習などが拡張していくし、加速されていく。これらを支える技術開発などはさらに推進されていくことで、リモートワークなどを軸にした働き方の変更による「おうち時間」のあり方の変容は避けて通れない。

 この間リモートや在宅ワークを、半ば強制的に体験することになったことで、「おうち時間」の過ごし方の、新しいリズムをなんとか見つけだすこともでき始めているともいえる。新しい生活様式の定着に向かっている過渡期である。

 笑い話でもあるが、リモートミーティングなのでアンダーが短パンだったことが偶然写ってしまったなんてことも面白さとしてはある。これは象徴的な話題ではあるが、「おうち時間」という、これまでは私的な時空間であったところにワークタイムというある意味公的な時空間が割りこんできたことになる。「おうち時間」の常識と習慣の中に、別の意味での外が侵出してきたことになる。「おうち時間」」の持つ意味と価値が変容せざるをえないのである。

 ●暮らしの「時間割り」とイニシエーション

 このことに対する暮らし自体の対応が一気に模索されていくことになる。室内空間ということの持つ意味が変わり、当然ながら住居というものの設計思想も変わっていかざるをえないのだ。単に空間のあり方だけでなく、時間のコントロールのあり方も変わってしまわざるをえない。通勤、通学は一種の痛勤でもあった訳だが、暮らしの時間の流れ、リズムという意味では、この時空間が一種のイニシエーション(通過儀礼)になっていたことが実態である。この時間を通して、ある意味マインドセットも含めて人格の変更を行っていたといえる。このように習慣化されたリズムがなくなり、自分自身で「おうち時間」の中でこのイニシエーションを行うことになる。自分自身で暮らしのリズム、自分自身の「時間割り」を作りだしていかなくてはならないのだ。

 これまでも述べてきたように、この「時間割り」の運用を支える技術基盤としてデジタル環境は十分に力を発揮していくことになる。ただ問題は、この「時間割り」の切れ目、リズムの変更と気持ちのスイッチのオンオフには、全く別のダイナミズムが動いていくことである。現状でみれば<身体生理>感覚を動員する行動を通して、このリズムの変更とスイッチの切りかえを行っているといえる。<身体生理>感覚であったり、末梢神経を動員したりすることでこのことを行うということが現実としてみえている。

 デジタル基盤技術が、「おうち時間」の中にさらに膨張し支えていくということと共に、それとは異なったリアルな<身体生理>感覚によって暮らしのリズムを生みだしていくという重層化こそが鍵となっているのだ。

 ●ラジオや交通広告の価値が上がる

 様々なコミュニケーションの流れを考えてみると、さらにデジタル化が進んでいくのは当然ではあるが、それとは異なった次元でのコミュニケーションのフローが強くなっていくといえる。ネットなどのデジタル空間の中に、あらゆるコミュニケーションメッセージがあふれていくことになり、ヴァーチャル空間の中にリッチコンテンツがあふれていく。だが、一方でアナログのシンプルな時空間の中に、シンプルなコミュニケーションを求めていくことにもなる。たとえばラジオのメッセージである。もちろんradikoというデジタル技術を利用することによりタイムシフトなどの機能を利用することで、さらに暮らしのリズムに密着することができている。

 また、<ネイバー2マイル>の散歩時間によって得ることになった、<身体生理>や抹消神経を動員した生活行動は、まさにリアルな実体験ということである。この実体験という行動のリズムに沿ったコミュニケーションの接点は、極めて重要でインパクトのあるものになっている。現状は外出自粛の影響で全く壊滅的な状況を脱するきっかけすらなさそうであるが、やはり<身体生理>をフル動員するという意味で、人の移動という実体験に沿った接点は逆にさらに価値があがっていくといえる。たとえば、メディアのポイントとしては交通広告に象徴される移動シーンという実体験に沿っていくことではないだろうか。

 ●実体験としてのモノのメッセージパワー

 <身体生理>感覚を刺激する実体験の相互のコミュニケーションとして、「あげたりもらったり」というメッセージの価値も上がっていっている。買い物に行ったついでに見つけた”掘り出物”を送ってあげたり、また手作りお菓子を友達の家の玄関まで届けてあげたりというようなことが湧き上がってもいるのだ。手作りマスクなどもこんな価値の伝達ツールになっている。

 この時に添えられた手紙メモなどと同じように、DMやメッセージカード、メッセージグッズなどが新しいメッセージツールになっている。たとえば、思いや願いをこめたダイレクトメールなどが価値あるメディアとして復権している。自分自身の「時間割り」のスイッチという暮らしのリズムを動かしていくのは、<身体生理>そのものを動かす実体験を刺激するものであることが未來価値といえる。

詳細レポートは以下よりご覧いただけます。

辻中 俊樹
株式会社ショッパーファースト シニアフェロー
生活日記調査などエスノグラフィーアプローチによる生活者リサーチとユニークな解析を一貫して実施。
『マーケティングの嘘』(新潮新書)など編著書多数。