<暮らし>リズムマーケティングセミナーでの発言を抜粋してお届けしております。
2018年8月に『エスノグラフィアプローチ―“青空ごはん”の価値をどのように見つけ出す―』というタイトルで行われたものを4回に分けてご紹介しています。
今回はその最終回です。
〈9〉コーヒーというものの価値
そういえば言ってなかったけれども、コーヒーも結構飲んでます。家でこんなに美味しそうにコーヒー飲んでないという飲み方をしています。家で使っていないギアを使ってるんです。ドリップする時にいいドリッパー使ってます。家では多分使ってないと思います。それから、マグカップが違う。家では多分使わない。なぜそういうことがわかるかと言うと、私もそうだからです。私も家ではこんな高いマグカップは使わんぞといったものが置いてあります。孫が使っているプラスチックのカップで私もコーヒーを飲んでいます。 そうすると「スノーピークのチタンダブルのマグカップはよく出てくるなぁ」とか「よくこんな高いもの買うな」と思うようなものが出てきます。時短、簡便という事とは、違う価値をもともとコーヒーは持っているのです。
〈10〉日常生活シーンへのエスノグラフィ
キャンプなどの特別なシーンについては、SNSなどの情報をベースにエスノグラフィのアプローチをすることができますが、日常生活の中でのこんなアプローチもよくすることがあります。
これはスナップショットという言い方をしてますけれども、対象者に写真を撮ってもらうんですね。それで、冷蔵庫とか家の中を撮ってもらった時に、巨峰とかシャインマスカットがいっぱい出てくる時があったんですけど、これはシニアが調査対象者の時です。50代60代70代の方が撮った写真です。例えば、ID POSのデータを 使ったらやっぱりシニアは裕福だということになるわけです。別に貧乏であってもこういう食にはお金をかける、かける余裕があるんだって事になってしまって、やっぱり品質の高いものを喜ぶシニアというおかしなことになっていくんです。これは100%とは言わないけれども7割5分ぐらいは、人にあげてます。違う言葉で言うと贈与です。誰にあげると言うと娘です。娘と孫だから、今の孫の世代を恐るべしというのは、三歳にして、シャインマスカット食べている訳です。私たち世代は年齢と共に食べるもののグレードが上がっていく、小さい頃からリッチなものを食べると、そいつの人生が曲がると教えられてきた世代です。こんなうまいカステラは二十歳超えてから食べろ、とか、カルピスを死ぬほど飲みたかったけども自立してから、飲めと言われたりもしました(笑)
下にメロンがあります。これも娘が持って帰るんです。これは三世代の贈与という関係を明らかにしています。これはデータを取ってもクリアにならないところがいっぱいあるんですね。定量データ見ても人にあげたものというのは出てきますけれども、僕の感覚から言えば低すぎる、もっと相当な量がやり取りされているはずです。
下にあるのは60代のシニアの車の写真なんですけれども、色鮮やかなチャイルドシートが付いてます。ということはこれも一種の贈与です。車をあげてないですけれども、使用シーンがこういうことになるんです。おじいちゃんおばあちゃんの家に行ったら子供はその家の車に乗るわけです。
この左の端の写真にはミネラルウォーターが出てくる、ウォーターサーバーがあります。何でこんなものが老夫婦の家にあるのかと言うと…健康志向が高まっているという訳ではなくて、娘がうるさいのですね。水道の水はダメだとか。誰の健康のためかというと孫の健康のためです。こういうのはエスノグラフィをやらない限りはわかりません。
それから一部私が撮った写真もあります。左の上のコストコのカラーボール。これがなぜ家にあるのか?私が遊ぶのかと(笑)。これね、孫がビニールプールに入れて遊ぶためにあるんです。年間の使用頻度なんて五回です。でもこんなものに我が家のクローゼットは占拠されている訳です。私たちも終活が近づいてきている訳ですから「シンプルな暮らしになりたい!」なんてね、、、なれないわけですよ。断捨離している対象物はほとんど私のものです。最近も買取王子に引き取ってもらいましたけれども。
それから、こちらの写真はプラレール。プラレールが置いてある70代の家って何なんですかね?つまり、居住空間そのものが今風に言うともの凄いシェアされてるんです。機能がシェアされてる訳です。昔はそういうことがなかったと思います。昔はおじいちゃんおばあちゃんちに行くと、そのうちの作法に適合しないといけなかった。暗い土蔵に行くのやだなぁとか、今は作法がイーブンになってしまっている。
後のカラーボール はコストコのカラーボールですけれども、コストコの店頭でこれ山ほど積んでありますけれども、それだけ見るとなんだかわかんないです。何に使うんだか。
今日お伝えしたかったのは青空ごはんというシーンがあります。行動のパターンがあります。行動がデザインされています。これを見ることによって、価値のあるシーン、食べるということに関する価値あるシーンがどのようにできているのかが見えてくる訳です。先ほどから申し上げているように時間と手間・暇という、いわば、人が自ら動くという手段、普段やらないよねというような材料をかけて、それから普段使わないような道具を使ってそこに最終的な自分たちなりの楽しみ、これはイメージでしょうね、それがあって、初めて価値のあるシーンだと言い切れるんだなと思っています。そういうところに登場する食事こそご馳走だと僕は持っています。立派な食材を使って立派なキッチンで作ったフレンチはご馳走という訳ではないんです。そういう視点でいろんなことを再編成していくと、いろんなキッカケになるんじゃないかなと思います。
なんにしても入り口は冒頭にお話した、老夫婦の護国寺でのお弁当です。これは素晴らしい。20代の付き合い始めのカップルはこういうものを作りません。彼氏をゲットするためのお弁当みたいな情報をネットで見まくるでしょ、そういうのを持って行ってもあんまり面白くないじゃないですか。こっちは“人生”という時間と手間がかかったあげくの果ての二人飯なんです。そういうシーンが頻度は多くないけれどもあるという事です。
(この項、終わり)
辻中 俊樹
株式会社ショッパーファースト シニアフェロー
生活日記調査などエスノグラフィーアプローチによる生活者リサーチとユニークな解析を一貫して実施。
『マーケティングの嘘』(新潮新書)など編著書多数。